1on1 to NonN: 個人間の感情的問題をシステムで解決することについて

話1:大学である二人の教授がある部屋をどう使うか揉めている。教授Aはそれを教授Bに1対1で直接話に行ったが、教授Bは話を逸らした。数日経つと教授Aは、”教授Bが部屋の所有に対して教授Aに対して不満がある”と大学職員から聞いた。教授Bは教授Aではなく大学職員にまず話をしていた。

話2:会社の従業員Aが休みが欲しかったので、社長に”x日に休みもらえますか?”と質問すると、社長は”いいよ。どこかに行くの?”といった。ある従業員Bは”社長それ世間的にはパワハラですよ。ははは。”と言った。

話3:ある女性が痴漢に遭った。痴漢をした男は”お前がミニスカートを履いているから悪いといった”。女性は精神的苦痛を負い、またこのようなことが社会では二度と起きてはいけないと思い”ミニスカートはお前のために履いていない”ということを主張する社会運動を行った。

どの話も実際に私が聞いた話を書いているのだが、ソースがないので架空の話ととってもらってもよい。でも昨今よくある話と感じることができると思う。

 

この話たちの主題はハラスメントではなく、誰が悪いということでもなく、個人間の感情的問題をシステムや第三者を介入したサービス、もしくは社会風潮を主張することで解決する傾向が世間で増えてきているということである。ここで個人間で話し合って解決することを1on1と名付け、システムを通して解決することをNonNと名付ける。

話1は、1on1なら教授間で話し合うことである。こういうふうなことがあるからこの部屋をこう使いたい、このくらいの面積を使いたいということを数分話すこと。NonNは大学職員を通して解決することである。

第2の話は、1on1なら従業員Aが(もし本当にその人がパワハラと思っているなら)”私そういうこと話したくないです”と言うこと。NonNなら従業員Aもしくは従業員Bがそれ社会的にはパワハラですよと言うこと。

第3の話は、1on1なら女性が男に訴えること。NonNは社会運動である。

 

NonN化することのポジティブなことは弱者的な立場の人が権力を持っている人に対抗できるということである。数で勝負である。

ネガティブなことは、一度社会的にNonNの主張が通るともう誰もそれがなんとなくできなくなってしまうことである。”どこに行くの?”と言うカジュアルな話はハラスメントになる。どう部屋を使うべきかという仕事上重要な意思決定も二人の間に権力差があればハラスメントと言われるかもしれない。ミニスカートで誘惑しナンパを期待したい女は、男を誘えなくなる。なぜなら男がナンパをすると痴漢になる可能性があり社会的に終わるから。

カジュアルな会話やナンパと、ハラスメントと痴漢は連続的につながっているが、閾値がある。しかし、その閾値は本来個人的なものである。NonNでは閾値が個人的に決定できなくなりわからなくなるので、誰もそれをやらないで回避する方向に行く。

 

我々は個人間で感情的に争うことができなくなっているのであろう。”どこに行くの”とカジュアルに聞けない社会はかなり問題があると思う。このような会話ができなければ、どうやって知り合いや友達を増やすのであろうか?最近の若い人は友達が少なくなってきているらしい。なぜなら腹を割って話すと他人や自分の感情を害すことになるから。

 

今でもよく会う友達は喧嘩や何かしらの衝突があった人である。衝突なしで本当に良い友人というのは作れるのだろうか?