国語お絵描き

現代思想の『総特集=宮﨑駿『君たちはどう生きるか』をどう観たか』を読んだ。その中で、映画を見たその瞬間は何も感じなかったものが、時が経つとああそうだったのかというものがある。この映画はそういうものをたくさん含んでいる。的なことが書いてあった。

映画に限らずそういう感動が今までの人生であっただろうか。人生まだ30年も生きていないので、正直あまり鮮明に覚えているものはないが、無理やり捻り出してみると一つある。それは「物理はなぁ、国語お絵描きだぞぉ」という高校の物理の先生の口癖である。

 

高校の最初の2年半、私の通う高校には物理の先生がいなかった。そのため化学の先生が代わりに物理を私たちに教えていた。

最後の半年に突然、高身長で少し禿げていてメガネでちょび髭の物理の先生が赴任してきた。なんかすごい物理やってそうな感じだなと思ったのを覚えている。

彼は私たちに物理を何も教えなかった。というのもうちの高校ではすでに高校の課程での物理教育は完了しており、授業は受験勉強の時間になっていたからである。

彼の仕事といえば、物理の問題を印刷して私たちに配るだけだったのだが、とにかく毎回「物理はなぁ、国語お絵描きだぞぉ」と言っていた。

これはつまり”問題をちゃんと理解して、力が掛かる方向を矢印で書け”という話だったので、受験勉強に特化した退屈な助言だと当時は思っていたのだが、今になって私はこれは科学や工学の本質をついているのではないかという気がしている。

つまり、国語お絵描きとは、目の前にある問題をよく見て、自分の理解が進むような表現(representation)で捉え直せということなのである。これは研究、特にアイデア段階で非常に重要なプロセスである。

なぜ私はその物理の先生の言葉を記憶したのか。私は、それが本質をついたからではなく、”国語お絵描き”という標語を作ったことにあると思う。リズムも良く小学生にもわかる文字で本質を表現している。それは本質自体の説明ではないから最初はわからないのだけど、本質を後に知った時、この標語によって何か自分の中で腑に落ちる。

 

君たちはどう生きるか』にもそういう標語的な動画や物語があるのかもしれない。実際そういう何かありそうと思わせるシーンはたくさんあったような気がする。いつか気付けるといいと思う。